赦
赦すっていうのはね、結局、終わらせることじゃない?……忘れることが出来ないなら、赦して終わらせるしかない。――赦しという行為に、崇高な価値が与えられているのは、どう考えても赦される側の人間のためじゃない。赦す側の人間のためだよ。生存の秩序維持の観点に立つなら、社会は殺人からひとつの歴史的教訓を得て、被害者の死を無駄にせずに済むと納得出来たなら――その損害に相当する何がしかを回収出来たなら、赦しを与えるだろうね。それで、個人の実存的な不安も一緒に鎮められる。犬死にというのはないんだ、とね。規律からの逸脱に対するルサンチマンは、罪に見合う罰というものが与えられれば、晴らされてしまう。被害者への共感は? そんなものは、放っておいても勝手に終わるよ。
識
新聞記者の作る合法的な嘘、社会をいびつなものとする大罪の一つである。人間は何故かように卑屈な性悪者として考えられなければならぬのか。
悲しみが増えて行くことを残念に思う。
私は今までの生活から、幾つかの極くありふれた単純な事実を見出した。苦痛は物質にて補うべからざる事、幸福もまた主に精神的な幸福を意味する事、そして一番大切なものは健康である事、私の知り得た事はそれくらいだ。然し、私は知り得たのみならず、深く理解出来たことを悦びとしている。
戦
現在の生活には愛というような思弁は微塵ももつべきではない。緊張の日々は、激しく廻る車輪が、わだちの上を四周へはね跳はすように、少しでも浪漫的な思想や感情は、勢よく飛散せしめる。ただこうして静かに日記を書く時間のみが、君の心に通ずる唯一の時である。私は嘗って君に、自分の心の記録を書き残して置くことを約束した。そして今迄そのような気分と余裕を持つことが出来なかったのだ。幸い約束だけは忘れていなかったことに、幾分なりとも私の誠実を認めてくれるなら幸いだ。自分の思想を表現することに馴れていない私は、いつも筆の渋滞に腹立たしさを感ずる。
君はよく私のことを分らないと云った。尤も私の言葉も誠意に欠けた冷静なものであったかも知れない。常に一緒にいるということの幸福な感情が、我儘な気分を生んだのであろう。離れていることは、その意味でよいことのようである。他の凡ゆる心の禁制と同様に、それは、親しみと尊敬の至純な情緒を培ってくれる。君は私の子供の頃程は信頼していないかも知れぬ。若しそうだとしたら、私は実に淋しい。
けれども私は君を信じよう。しかし、もうこのように日記に自分の心を託して君に与えることより外に、私の気持を表現することが出来ない。それに私の前途は全くの未知だ。ジイドの書いたように、将来は悉く神の縄張りに属している。私自身の未来を私は予知することが出来ない。そして、私は私であっても、私の私ではない。このことは、賢明な君は良く理解してくれると信ずる。最早、私は君一人を愛すること以上に、日本を、そして君を含めた日本の人々を愛している。このようなことを書いたからと云って、私は決して思い上った怒号的なジンゴーイズムに陥っているわけではない。在学当時、私の心に育んだ憂国の理智を、愛国の情に代えたまでのことである。このことは、君には話したことがあると思う。君に会える日はもう当分ないだろう。或は永久にないかも知れない。
手向の花にくちなしを約束しておいてよかったと思っている。
あの花は母も好きだった…………。