October 2010
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Oct 27th
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赦すっていうのはね、結局、終わらせることじゃない?……忘れることが出来ないなら、赦して終わらせるしかない。――赦しという行為に、崇高な価値が与えられているのは、どう考えても赦される側の人間のためじゃない。赦す側の人間のためだよ。生存の秩序維持の観点に立つなら、社会は殺人からひとつの歴史的教訓を得て、被害者の死を無駄にせずに済むと納得出来たなら――その損害に相当する何がしかを回収出来たなら、赦しを与えるだろうね。それで、個人の実存的な不安も一緒に鎮められる。犬死にというのはないんだ、とね。規律からの逸脱に対するルサンチマンは、罪に見合う罰というものが与えられれば、晴らされてしまう。被害者への共感は? そんなものは、放っておいても勝手に終わるよ。
Oct 27th